私の友人が3月31日でお仕事をやめました。その方にメールと画像を送ろうと探したのですが なかなかいいのがなくて 昔購入した イラスト花暦というCDロムを思い出し その中に花束があったのです。早速送りましたら すぐ返事が来て それには20年働いたとありました。非常勤を停年前に自分からやめるなんて 本当にかっこいいと私は20年も働いたこととあわせて心からご苦労様と拍手送りたい思いでいっぱいになりました。
Saturday, March 31, 2007
Tuesday, March 27, 2007
タンポポ
Saturday, March 24, 2007
VoiceTrek
Tuesday, March 20, 2007
電話
今日は火曜日で何時も横浜のヤマハへ出かける日だった。先週まで歯医者の予約があったので私はヤマハにかえって遅れることなく到着 先生ならびに一緒に習っている友人から 珍しいわね、こんなに早く来て このまま遅れないように早く来れればいいねといわれながら やはり今日ももたもたしていて出かけるのが遅くなってしまった。そこへ電話 私には滅多に電話がかかってこないのにどうしてか久しぶりに電話 それは3年前に開いたパソコン講座の受講生の方からだった 久しぶりにノートパソコンを開いたら 右下に赤い矢印がでたのですがそれはどうしてでしょうかという質問でかなりあわてた様子だった 出かけなければゆっくりと応対できるのに私も赤い矢印などがでたことがないだけに私もなんとお答えもできないし とにかくあちら側から電話は切られた 私はモノレールの乗って そうだ私は分からなくてもノートパソコンならどこかでお会いして私もどんな場面なのか見て差し上げるだけもそんな約束をしてあげればよかったと頭に思い描きながら電車に乗ったっら今度は 急に咳込みはじめ咳がなかなか止まらなく大きなマスクをしながらずっと下を向いたまま横浜へ パソコンのことはすっかり忘れて咳そして私の頭はエレクトンモードになってしまった。10時を過ぎて思い出したが もう遅し 心無い私の対応に今とても申し訳なかったと後悔している。画像は先日撮った鎖大師の赤い椿
Saturday, March 17, 2007
Thursday, March 15, 2007
続 胃カメラ
Wednesday, March 14, 2007
続き 胃カメラ
胃カメラはいよいよ明日になった 咳が出なければ良いがといつになく神経質の私 今日は誰も家にいない昼食きちんと食べなくては 誰もいないとつい忘れてしまいそう それよりもケンウッドとまでMediaPlayer11にしてもつかえることがわかった。これで千の風になってが聴けるようになって朝から私はうれしくなって千の風になっての曲をききながら家の前のお掃除をした。これから洗濯を干したり一向に代わり映えしない家族の構成 いつまでこんなにたくさんの洗濯物をしなくてはならないのだろう せめていい音楽をきいて 少しでも気持ちよく過したいものだ。今日はまだ始まったばかり・・・・・
胃カメラ
16日は朝の7時半には近くの医院におくれないように行かなくてはならない そして年に一度の胃カメラの検査 ニ三日前から風邪を引いて咳でもでたらどうしようと気になる。このところ暖かい日が続いていたのでその温度になれた体 一昨日あたりからまた寒くなった 歳よりはついていけない そんなときに夜更かししてのどを痛めた 自業自得といいながらまたまた風邪気味なのにパソコンの前に座っている 今日はケンウッドのプレアーにMadiaPlayer11にバージョンアップしたばっかりに音楽を入れることができなくなった。今日はあれやこれやそんなことで振り回されてぜんぜん前にも進まず疲れた一日となった。
Sunday, March 11, 2007
久しぶりのメール
一昨年まで夏の間留守宅になる知人の家の風通しをしてあげていた。私もよる歳波に風だけ通すのならできるが 周りの掃除とかになると 依頼者の知人が何もしなくていいとは言われても半年も経つと掃除をしないではいられない 私より若くてよく働く人のほうが家のためにもいいのではないかと 私はお断りした。一人住まいの彼女は私と同じ歳 そんなことで繋がっていたのだろうが テレビを見ていて一人住まいの高齢者が多いというそんな話を聞いて 最近音沙汰ない知人のことが気になり始めた 半年振りのメール 彼女から朝メールがとどいた それには今年は風邪をひきそれがお腹にきて困ったとあった。若い頃は元気一人で住んでいてもいいが いづれ歳をとる 若い頃は遠い 自分には関係ない話だと聞き流していたいろいろなことが 最近感じることが多い年齢になった。誰しも人間 歳はとりたくないが 生きている以上は避けられない 毎日を大切に一所懸命生きるよりしかたないと自分に言い聞かせながら日々は過ぎていく。
Thursday, March 08, 2007
日本人形
私と同じ歳の人形 その頃私は父の仕事の関係で樺太(サハリン)にいた。私が生まれたときに祖母からお雛様とこの人形が送ってきたらしい。祖父が問屋のお店をしていたが失敗して 父は少しでもお金になればと外地に希望して着任したらしいことは私が成長してから分かったことだが 精一杯に祖母が私のために買って送ってくれたものだろう。そんな父も戦後10年しか生きておらず母は苦労して私と弟を育ててくれた。そんな母が私が幼い頃いっも抱いてあそんでいた人形を大事にしまっていたのだ。でもこの人形は私の記憶の中ではあまり遊んでいた記憶がない、私が物ごろついた頃には大事にしまっていたのだろう。長い年月しまっておいたのでぼろぼろに朽ちた着物を脱がして 年老いた母が着物の下に着る下着(ジュハン?)の絹のあまり切れで作ったらしい。私は浅草橋の人形屋さんで立派な人形の着物を作ろうと何度も思ったがどうしてもこの着物をは脱がすことができなかった。 母が亡くなった今は母の手作りの着物を着た人形は私の宝物になっています。
Tuesday, March 06, 2007
フロッピイデスク
Sunday, March 04, 2007
バドミントン
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